吉野彰氏のノーベル化学賞受賞と今後の日本の科学研究②
2019年10月9日に本年のノーベル化学賞の受賞者が発表され、リチウムイオン電池の開発で吉野彰氏(旭化成)の受賞が決まりました。また、本年の受賞は、ジョン・B・グッドイナフ氏(テキサス大学)、マイケル・スタンリー・ウィッティンガム氏(ニューヨーク州立大学)、吉野氏のリチウムイオン電池関連の3氏の同時受賞となります。
ここでは、吉野氏の受賞を記念して、吉野氏の業績等簡単な紹介と今後の日本の科学研究の展望を述べたいと思います。中編では日本人の受賞者が今後も出続けるかについて解説していきます。(前編:リチウムイオン電池と吉野氏の業績についてを読む)
中編・目次
・近年のノーベル賞受賞者の傾向
・①30年程度前の研究が受賞している
・②受賞者の多くは大学で研究
・今後も日本人がノーベル賞(自然科学分野)を受賞できるか?
・今後ノーベル賞受賞が期待される日本人研究者
・2000年代に起こった研究費の分配をめぐる改革
・成果主義が引き起きした”応用研究”への転換
(前編を見る)
(後編を見る)
近年のノーベル賞受賞者の傾向
①30年程度前の研究が受賞している
2000年以降、20人近くのノーベル賞受賞者が出ている日本ですが、今後もコンスタントに日本人受賞者が誕生するのでしょうか?この疑問を考えるために、まずはここ最近のノーベル賞受賞者の傾向を探ってみましょう。2010年以降のノーベル賞(自然科学分野)の受賞者は以下のようになります。
受賞年 分野 |
受賞者 | 研究機関 | 受賞理由 | 研究成果の発表時期 |
2015年 物理学 |
梶田隆章 | 大学 | ニュートリノ振動の発見 | 1990年代~2000年代 |
アーサー・B・マクドナルド | 大学 | |||
化学 | トマス・リンダール | 大学 | DNA修復の仕組みの研究 | 1970年代~1980年代 |
アジズ・サンジャル | 大学 | |||
ポール・モドリッチ | 大学 | |||
医学・生理学 | ウィリアム・C・キャンベル | 民間企業 | 線虫による感染症の新たな治療法に関する発見 | 1970年代~1980年代 |
大村智 | 研究所 | |||
屠呦呦 | 研究所 | マラリアに対する新たな治療法に関する発見 | ||
2016年 物理学 |
デイヴィッド・J・サウレス | 大学 | トポロジカル相・トポロジカル相転移の発見 | 1970年代~1980年代 |
ジョン・M・コステリッツ | 大学 | |||
ダンカン・ホールデン | 大学 | |||
化学 | ジャン=ピエール・ソヴァージュ | 大学 | 分子マシンの設計と合成 | 1980年代~2000年代 |
ベルナルト・L・フェリンハ | 大学 | |||
フレイザー・ストッダート | 大学 | |||
医学・生理学 | 大隅良典 | 大学 | オートファジーの仕組みの解明 | 1990年代 |
2017年 物理学 |
レイナー・ワイス | 大学 | LIGO検出器および重力波の観測への貢献 | 1990年代~2010年代 |
キップ・ソーン | 大学 | |||
バリー・バリッシュ | 大学 | |||
化学 | ジャック・ドゥボシェ | 大学 | クライオ電子顕微鏡の開発 | 1980年代~1990年代 |
リチャード・ヘンダーソン | 大学 | |||
ヨアヒム・フランク | 大学 | |||
医学・生理学 | ジェフリー・ホール | 大学 | 概日リズムを制御する分子メカニズムの発見 | 1980年代 |
マイケル・ヤング | 大学 | |||
マイケル・ロスバッシュ | 大学 | |||
2018年 物理学 |
アーサー・アシュキン | 民間企業 | 光ピンセットの開発と生体システムへの応用 | 1970年代~1980年代 |
ドナ・ストリックランド | 大学 | 超高出力・超短パルスレーザーの生成方法の開発 | ||
ジェラール・ムル | 大学 | |||
化学 | フランシス・アーノルド | 大学 | 酵素の指向性進化法の開発 | 1980年代~1990年代 |
ジョージ・P・スミス | 大学 | ファージディスプレイ法の開発 | ||
グレゴリー・ウィンター | 大学 | |||
医学・生理学 | ジェームズ・P・アリソン | 大学 | 免疫チェックポイント阻害因子の発見 | 1990年代~2000年代 |
本庶佑 | 大学 | |||
2019年 物理学 |
ジェームズ・ピーブルス | 大学 | 物理宇宙論における理論的発見 | 1970年代~1990年代 |
ディディエ・ケロー | 大学 | 太陽型恒星を周回する太陽系外惑星の発見 | ||
ミシェル・マイヨール | 研究所 | |||
化学 | ジョン・グッドイナフ | 大学 | リチウムイオン二次電池の開発 | 1970年代~1980年代 |
吉野彰 | 企業 | |||
スタンリー・ウィッティンガム | 大学 | |||
医学・生理学 | ウィリアム・ケリン | 大学 | 細胞による酸素量の感知とその適応機序の解明 | 1990年代~2000年代 |
グレッグ・セメンザ | 大学 | |||
ピーター・ラトクリフ | 大学 |
上の表の研究成果の発表時期に着目すると、1970年代~1990年代に受賞理由となった研究の最初の大きな成果発表があり、そこから2010年代後半のノーベル賞受賞まで、20~40年程度の期間があることが分かります。つまり、現在受賞の中心となっている研究は20~40年程前に、科学界に大きなインパクトを与えたものだといえます。
②受賞者の多くは大学で研究
また、受賞者の所属していた研究機関を見ると、ほとんどが大学や国立等の研究所であることが分かります。今回受賞となった吉野氏のように民間企業に所属して、そこでの研究が受賞するのは稀なケースだとわかります。これは、大学・研究所での研究と企業での研究は、重視していることが異なるためです。
大学や研究所の研究の多くは、未発見のものや理論を見出したり、未解明の自然の仕組みを解き明かすことに重きを置く基礎研究です。対して、民間企業の研究は、利益をあげることが前提にあり、役に立つものを生み出すために、分かっていること、知られているものをどう組み合わせ、改良するかに重きを置いています。つまり、応用研究・開発開発です。
ノーベル賞の受賞理由となる科学界に強い衝撃を与える新発見や発明は、基礎研究で多くが見出されます。したがって、大学や研究所の研究が多くを占めることとなります。一方、民間企業が行っている応用研究や研究開発では、なかなかノーベル賞の受賞にはつながりません。単に実用化に成功しただけではなく、実用化により相当に大きな科学的な進歩をもたらしたり、実用化の過程で大きな発見がなければ受賞とはなりません。
(ノーベル賞受賞者数最多のハーバード大学 原著:chensiyuan ライセンス:Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0] )
今後も日本人がノーベル賞(自然科学分野)を受賞できるか?
今後ノーベル賞受賞が期待される日本人研究者
ノーベル賞の受賞までには、インパクトの大きい研究成果の発表等から、30年程度の期間がかかるという傾向が見えたところで、今後、ノーベル賞受賞が期待されている日本人研究者とその業績が報告された時期を見ていきましょう。研究成果発表の年代別にまとめると以下の表のようになります。(表にはノーベル賞候補の中でも、年代毎に特に有力といわれているものをのみを掲載しています。)
研究成果の発表年代 | 研究者 | 研究業績 | 分野 |
1970年代以前 | 藤島 昭 | 本多ー藤島効果(光触媒)の発見 | 化学 |
1980年代 | 佐川 眞人 | ネオジウム磁石の発明 | 物理学 |
藤田 誠 | 自己組織化によるグリッド状分子の合成 | 化学 | |
前田 浩 | EPR効果の提唱 | 医学・生理学 | |
松村 保広 | |||
満屋 裕明 | 世界初のHIV治療薬の開発 | 医学・生理学 | |
1990年代 |
古澤 明 | 量子テレポーテーションの実現 | 物理学 |
北川 進 | 多孔性配位高分子の開発 | 化学 | |
森 和俊 | 小胞体ストレス応答機構の解明 | 医学・生理学 | |
2000年代 | 香取 秀俊 | 光格子時計の発明 | 物理学 |
細野 秀雄 | IGZO、エレクライド等の発見・発明 | 物理学 | |
十倉 好紀 | マルチフェロイックス物質の発見 | 物理学 | |
坂口 志文 | 制御性T細胞の免疫機能の発見 | 医学・生理学 | |
2010年代 | 相田 卓三 | アクアマテリアルの発明 | 化学 |
藤田 誠 | 結晶スポンジ法の発明 | 化学 |
これを見ると、現在の受賞の中心となっている1980年代~1990年代に続き、2000年代も有力な研究成果が多くあることが分かります。なので、今後10~15年程度はコンスタントに日本人受賞者が誕生すると思われます。対して、2010年代以降については、現時点では、本当の価値が理解されていない研究成果もあると思いますが、受賞候補といわれるような革新的な研究成果は減少しています。
2000年代に起こった研究費の分配をめぐる改革
日本でノーベル賞級の研究成果が減ってきている大きな原因の一つは、大学で行われていたコアな基礎研究が減ったことにあります。特に2004年に国立大学が法人化されて以降、この傾向が顕著になっています。その背景には、国立大学の法人化に合わせて実施された、研究費の分配に関する改革があります。
それまでの研究費の分配は、国から大学に運営費が交付され、その一部が各研究者に分配される分がある程度ありました。しかし、改革では、大学へ交付する運営費を減額しました。なので、大学経由で研究者へ渡る資金は減りました。ただこのままで研究ができなくなってしまうので、代わりに、国から研究者へ直接交付される研究資金(科研費等)を増やしました。
この研究者へ直接交付される研究資金は、競争的資金と言って、研究者間で競争し、「より評価の高い研究」を行う研究者に多くの資金が分配される仕組みになっています。なので、以前よりも評価の高い研究に資金が多く分配されるような仕組みになる予定でした。
( 2004年に法人化した東京大学 原著:Kakidai ライセンス:Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0] )
成果主義が引き起きした”応用研究”への転換
大学経由での研究資金の交付が減ったことで、以前はそれなりの評価が得られいれば、最低限必要な研究資金を得られていたのが、「高い評価」を得ないと研究資金を獲得するのが難しい状況になりました。なので、研究者は「高い評価の研究」をする必要が出てきました。そしてこの「高い評価」とういのが”クセモノ”でした。
競争的資金の獲得のための評価は交付期間である3~5年おきに見直されます。そして、この間に成果をあげなければ、次回の査定の際に評価が下がります。なので、資金を継続的に獲得し続けるためには、短期間で成果をあげることができる研究を行う必要が出てきました。このため、成果を認められるまでに長期間を要すコアな基礎研究から、より短期間で成果の出やすい応用寄りの研究へシフトチェンジせざるを得なかったのです。
この結果、大学でのコアな基礎研究が減り、応用寄りの研究が増えたことが、ノーベル賞候補といわれるような研究成果が減少してきた一因だと考えられます。
(後編に続く)
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